遺言イメージ

何でも形として残すことで遺言にすることができます

遺言を残しておくことは、どのような形でも残すことができると私は考え、私のやり方で残しております。
ただ、その残した文章を誰かが読んで叶えてくれるのかどうか、それはわかりません。
あまり深く考えずに、生き残った人たちが私が望む方法にかまわず、やりたいようにされて終わってしまうかもしれません。
でも、それはそれで仕方のないことだと思っております。
でも、私自身の望みを叶えてくれるかどうか分からない、望みを叶えてくれなくともそれは仕方がないと思っても、何も残さずに最期を迎えるよりは、少しでも何かしら形として残していくほうが、まだ低い可能性であっても望みがあると感じるのです。
私はまだ、遺言というものを残すには早すぎると言われるかもしれない年齢であります。
しかし、そのことを重視して毎日考えているわけではありませんし、でも、人生何が起こるかわからないから、もし、何かあったことを、ふと、考えることは決して悪いことではないと思いますし、今ある人生をどう生きていこうか自分自身を振り返って考え直すことができるきっかけもできてくると、私は思うのです。
もちろん、今、遺言を書き残しても時間が過ぎれば考え方が変わっていくこともあります。
そのときそのときの経験から、望む内容は変わってくるかと思います。
だからこそ、そのときの人生を書き残すことで「このような経験があったのか」と振り返りながら、今を考えることができてくるのではないかと感じます。
私は、日記としてノートに書き残すことでも、インターネットのブログやソーシャルネットワークに書き残すことでも、十分遺言になるのではないかと考えております。
そのときの出来事で感じたこと、そしてそこから自分でどのようなことを望むのか、どのような人生を歩みたいと考えたのか、そのようなことを書き残していくことで、後に誰かが読んで何か感じたときに、誰かが何かしら行動に移してくれる、それが何よりも遺言を叶えてくれる結果となるのではないかと思っております。
だから私は日記帳をつけていることもありますし、インターネットでブログを利用して文章を書き綴っております。
日記帳はあまり誰かに見せることはありませんが、インターネットでのブログは、誰かが読むことで何か残すことができたら、私はそれで書いてよかったと思えてくるのです。
これから日記もブログも書き続けて、私が生きた証を残していきたいと思っております。

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