遺言イメージ

お葬式が終わって遺品整理をしていた際に見つけた遺言状

私の家族は、両親と私を含めた兄弟3人、そして祖父母の7人家族でした。
最近では7人家族というと、大家族のように驚かれますが、その当時は特別な人数ではありませんでした。
そして、その中でも一番先に他界したのは、祖母でした。
私の祖母は、口数が少なく、内弁慶で外に出る事をあまりしない人でした。
そのため、家に誰かが帰ってくると、その人を捕まえ、長い話を良くしていました。
私も学校から帰ると、「今日学校で何してきたの」「今日郵便が来てね」など他愛もない話を長々と聞かされていました。
幼い頃はそんな会話を苦痛に感じる事はありませんでしたが、中学校、高校生位になってくると、話を聞く事がとても苦痛になり、家に帰ることさえ遠ざけたくなってしまいました。
そしてそういう気持ちが次第に顔や態度にも現れるようになり、祖母の話を聞かずに自分の部屋にこもったり、食事を一緒にとらないなどするようになりました。
祖母は、私のそんな態度に気付いていたのかどうか今となっては分かりませんが、私以外の家族を捕まえて淡々と話をしていました。
そんな日が当たり前のようになっていたある日、食卓で食事をとっていると、祖母が隣に腰掛け、また話を始めました。
私はまた始まったかと思い、嫌な顔をしてその場から立ち去りました。
祖母はまだ話をたくさんしたかったと思うのですが、聞く事に耐えず、話の途中で部屋に逃げるように移動しました。
そして、しばらくしてリビングに降りると、祖母を食卓で居眠りをするように眠っていました。
また誰かが帰ってくるのを待っているのだなと思いましたが、少し様子が違う事に気づき、声をかけてみました。
すると祖母をぐったりしており、力ない様子で倒れていたのです。
慌てた私は救急車を呼び、家族に連絡を入れました。
そしてそのまま家に戻る事なく、祖母は他界してしまったのです。
お葬式が終わり、母と祖母の遺品整理をしている時に、母が祖母のタンスから遺言状のようなものを見つけ、私と一緒に開封しました。
その中には、内弁慶で家の中の人間としか関わりを持たなかった祖母の思いが綴られていました。
若い頃に無理やり電車で遠方へ嫁がされ、一人で電車に乗れなかった祖母は、どこに着くのか分からないまま逃げるように電車に乗り、ここまで辿り着いたという事でした。
それ以来、一人で出掛けたり、家族以外の人と話をするのが怖かったそうです。
そんな事を知らずに、冷たい態度をとりつづけた私は、本当に情けない人間だと落ち込みました。
しかし、遺言状の中には私に向けて感謝の気持ちと、少しの相続についての話がかかれていました。
こんな私にありがとうの言葉を伝えてくれた祖母に申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。
しかし、私もこの一件以来少し成長し、人の話をきちんと聞く人間になろうと考えるようになりました。
相続などについては、形式通りに書かれた遺言書でなければ効力がないと聞きましたが、相続が欲しいわけでもなかったため、そんな事は私には全くなく、人に対する考え方を教えてくれたありがたい遺言書だったと思っています。

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